【日本版DMOの実態および公職の在り方について 】

ぼくは観光振興に関心があるので、日本版DMOを例に挙げて公職の在り方について感じたことを書きたいと思います。

 日本版DMOとは、『行政と民間が協力し「半官半民」で、稼げる観光地づくり法人』として、アベノミクスの3本の矢のひとつとして位置付けられ、海外の観光先進国をならい取り入れられた成長戦略の目玉の組織でした。なかでもハワイ州は全DMOのモデルとも言えるほど組織が好機能し、職員全員が民間出身の団体もあります。

 しかし、諸外国のDMOをならって設立してきたはずの日本版DMOの実態は、「半官半民」には程遠く、役所の観光課と体質が酷似しています。いかに職員が名案を上げても、最後は出資元の首長が決済します。そのため、民間の知見があまり反映されず、職員は役場に予算請求をし、資金が枯渇することがないので、自立して稼ぐことに、意識が向きません。
この一面を見ても、何のための組織かさっぱり分かりません。単なる二重行政が生まれているようにしか感じません。 そうであれば住民にとって不幸でしかありません。

そして、元来、公職の責務は、「住民の生命と財産を守る」ことに集約されると考えます。法の執行、税の徴収、個人情報の管理、治安の維持、機会の公平等、公職にしかできない『監督職』以外の業務については、公職である必要性に疑問を抱きます。

住民サービス等の業務は、雇用を市場に開放し、民間人を積極的に採用し、公職の給与を、サービス業界と同等の金額に是正すると、住民の暮らしは、きっと、とても豊かで幸せなものになると確信しています。
コロナ禍の現在、民間企業のほとんどが困窮しているなか、公職の給料は全く下がりません。民間企業と公職との給料格差がなくならない限り、社会の公平性は実現せず歪んだままでしょう。仮に、監督職以外の公職が、月収14万円で働くと、現状より公職批判は減るでしょう。

「民間でできることは民間に」、「小さな政府」、「ニアーイズベター」等、20年前から叫ばれ続けてきた社会が未だ実現に至らずとは、非常に強くむなしさとさびしさを覚えます。

『服務宣誓』の本質である、住民の痛みに寄り添う、血の通った体質を公職に求めます。